覚悟は出来ていますか。
臓器移植に関するニュースを見る度、複雑な気持ちになる。
私自身ドナーカードを所持しているものの、具体的な意思表示は一切していない。
それは自分自身の問題でもあり、周囲に対する配慮でもある。
第一に、何を以って「人間の死」とみなすべきなのか。
「脳死状態」に陥った時点で「死」とみなすならば、例えば心臓を提供することも可能になろう。
けれど、その肉体には温もりがあり、もしかしたら再び目覚める可能性もゼロではないのだ。
(事実、奇跡的に意識を回復した例があることを私たちは知っている)
であれば、「肉体の死」を迎えた時点で臓器提供といった流れになるが、今度は「魂を失くした肉体」に傷をつけることが好ましいか否かの問題が出てくる。
今は「もし可能であれば…」と考えてはいるものの、いざ逆の立場におかれたならば素直に故人の意思を尊重する自信はない。
仮に「脳死の状態であっても、全ての臓器を提供する」と記されていても、だ。
だからだろうか、海外での臓器移植手術を実現させる為に寄付を集める人々を見ると、ついこんな問いかけをしてみたくなる。
「ところで、あなたはドナーカードを所持していますか」と。
「そのカードには、当然全ての臓器を提供する旨が記されていますよね」とも。
生半可な気持ちのままで意思表示が出来る筈もなく、今日現在ドナーカードは白紙のままだ。
勿論、一度たりとも支援活動に参加したことはない。
※ NeckerCube では個人分析を受け付けております。
詳細はメールに てお問い合わせくださいませ。

私自身ドナーカードを所持しているものの、具体的な意思表示は一切していない。
それは自分自身の問題でもあり、周囲に対する配慮でもある。
第一に、何を以って「人間の死」とみなすべきなのか。
「脳死状態」に陥った時点で「死」とみなすならば、例えば心臓を提供することも可能になろう。
けれど、その肉体には温もりがあり、もしかしたら再び目覚める可能性もゼロではないのだ。
(事実、奇跡的に意識を回復した例があることを私たちは知っている)
であれば、「肉体の死」を迎えた時点で臓器提供といった流れになるが、今度は「魂を失くした肉体」に傷をつけることが好ましいか否かの問題が出てくる。
今は「もし可能であれば…」と考えてはいるものの、いざ逆の立場におかれたならば素直に故人の意思を尊重する自信はない。
仮に「脳死の状態であっても、全ての臓器を提供する」と記されていても、だ。
だからだろうか、海外での臓器移植手術を実現させる為に寄付を集める人々を見ると、ついこんな問いかけをしてみたくなる。
「ところで、あなたはドナーカードを所持していますか」と。
「そのカードには、当然全ての臓器を提供する旨が記されていますよね」とも。
生半可な気持ちのままで意思表示が出来る筈もなく、今日現在ドナーカードは白紙のままだ。
勿論、一度たりとも支援活動に参加したことはない。
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